持田進シェフプロフィール

持田 進(もちだ すすむ)

元新橋亭料理長。中国料理世界大会で銀賞(準優勝)受賞歴を持つワールドクラスの実力派スーパーシェフ。目黒雅叙園では、髙野文雄料理長と同じ厨房で共に技術を磨いた黄金の師弟関係。

新橋の老舗中国料理店の新橋亭で、20代前半の伸び盛りの時期に老舗の名店で中国料理の基礎をしっかりと学ぶ。新橋亭で5年勤務した後、目黒雅叙園に移籍、髙野文雄料理長と同じ厨房で20代後半から30代前半の人生の黄金期を目黒雅叙園という最高の舞台で共に過ごす。当時、髙野文雄料理長は既に伝統の技術を極め、革新的な手法で数々の新しい試みを繰り出して活躍していた時期で、持田シェフも大いに刺激を受けて、お互い切磋琢磨して技術を高めていった。

目黒雅叙園では、髙野文雄料理長と共に一日に数千人規模の料理を作り、氷細工や彫り物の技術を磨き、質量共に日本最高ランクの中国料理を日々創り続けていた。

主な経歴

● 新橋亭
● 目黒雅叙園
● 小田急豪華
● 新橋亭料理長

1993年に台北で開催された美食展 中国料理コンクール国際部門にて、団体銀賞(準優勝)個人銅賞(第3位)受賞。団体戦は8つの国と地域、個人戦は192名が参加する中で、団体・個人ともに上位入賞し、日本の中国料理の技術力を世界に示した。

1993年に台北で開催された中華美食展の様子

国際コンクールでの日本代表チームの健闘を伝える日本中国料理調理師会の会報誌の特集ページ。この時はテレビの長期密着取材も入り、慣れない異国での料理、言葉の壁、食材の調達、等々の困難に加えて、日本を代表するプレッシャーを感じたと持田シェフは語る。

1993年と言えば、サッカー界ではドーハの悲劇によりWカップ初出場を阻まれ、野球界では野茂英雄投手がMLBに移籍する2年前のことで、日本人がまだ世界の壁を破ることに苦戦していた時期であった。

1993年頃、日本中国料理調理師会は、国際コンクールへの参加、中国より一流料理人を招聘しての講演、認定資格制度の整備、若手料理人の育成、料理人のテレビ出演支援、等々、業界全体の技術力と地位向上のために積極的な活動を展開していた。

1993年頃の髙野文雄料理長と後輩たち。
写真左から持田進シェフ、料理の鉄人に出始めた頃の陳建一氏、髙野文雄料理長、テレビチャンピオン出演の石川敏行氏。

髙野文雄料理長と持田進シェフはこうした活動でも中心的な役割を発揮していた黄金の師弟コンビである。そして今、往年の伝説の点心を復活させるために、黄金の師弟コンビが板橋の地で甦る。