料理長 髙野 文雄(たかの ふみお)

1948年(昭和23年)山梨県出身

赤坂飯店、富士会館、平和島大飯店等、高級中国料理有名店で勤務の後、目黒雅叙園にて料理長として長年活躍。中国料理最高水準の技術をベースに、日本伝統の職人の手仕事との融合により日本独自の洗練された味を創り出してきた。

上海、香港、台湾等の本場で中国料理の技術を習得。日本人初の中国料理最高資格を取得。

最高の料理を提供することはもちろん、更に感動的な料理体験を味わってもらうために、宴会場のテーブルに氷細工の五重塔や庭園を配置したり、生花や茶道、歌舞伎などの芸術とのコラボをプロデュースしたり、料理体験を芸術的領域にまで高める演出を主導。

職人技の伝承にも貢献し、中国料理界で多くの料理人を育成した。後輩には料理界の第一線で活躍する職人も多数。中国料理調理師友好会役員をはじめ、料理人をまとめる活動にも尽力している。

主な経歴

● 赤坂飯店
● 富士会館
● 平和島大飯店
● 目黒雅叙園
● 千里香

● その他ホテル、結婚式場等で料理指導

点心テイクアウト専門店「千里香」、ガーデンレストラン「SENRI SHAN」を茨城県取手市に開業し、焼売、餃子、肉まん等は地域の人々から愛されてきた。

かつて料理長として勤務していた大型高級中華料理店で絶大な人気を誇っていた肉まんは、髙野料理長が老麺を使い自ら作っていた。当時の味を知るお客様をはじめ、中国料理界の料理人からも老麺による肉まんの復活を熱望されていた。中国伝統製法による老麺を伝承する数少ない老麺師として老麺の復活に取組み、当時の味の再現に成功。東京板橋 遊座大山商店街に老麺肉まん専門店開業に至る。

趣味は高校野球観戦。
三人の息子のうち二人を高校球児に育て、甲子園にも出場。自身の高校時代には、山梨でドラフト第一期生として巨人軍に入団した投手とライバル関係にあった。今でも車にユニフォームとバットを積んで、神宮球場等に高校野球を観に通う高校野球ファン。

盟友の巌谷章氏は中国料理調理師友好会名誉会長  後輩の神川敦志氏は中国料理調理師友好会会長

 

若かりし頃の料理長(右から2番目)

後輩として指導した料理人は、料理の鉄人やテレビチャンピオンに出演、世界大会で準優勝、等々、中国料理界で活躍している。後輩の指導と技術の伝承は、若き頃から取組んできた重要なテーマである。